コンテンツ

松本英彦について,松本佳子について,大徳寺

英彦、パパ愛してる。

松本佳子著者

bookimg英彦、パパ愛してる
食道癌からの奇跡の復活、
そして医療過誤。
栄光のジャズマンを支えた夫婦愛。

著者:松本佳子
出版社:NHK出版
定価:1260円(税込)

amazon
Amazonで購入

松本英彦プロフィール

松本英彦

松本英彦プロフィール

1926年
10月12日、松本英彦、岡山県の生まれる。

1938年
広島県立府中中学校(現・府中高校)に入学。
ブラスバント部に籍を置き、これが音楽一筋の長い歴史の始まりとなる。

1943年
戦争に加わりたくないと、猛勉強を重ねて半官半軍の無線電信講習所(現・電気通信大学)に入学。

1944年
よこすかEMクラブ近くの横浜サクラポート(オルフェアンズと交替)で音楽家としての人生をスタート。
その後、学校に通いながら、米軍キャンプで演奏のアルバイトを続ける。このとき米軍軍人から"スリーピー”の愛称をもらう

1949年
日本初のバップバンドである「CBナイン」[松本英彦(テナーサックス)、海老原啓一郎(ア
ルトサックス)他]に参加。横浜の米軍軍人クラブに2年8ヶ月出演するほか、NCOクラブ「クロス・ロード」「ニューヨーカー」「ゴールデン・ドラゴン」「ザンジバル」に出演。

1951年
日本で初めてクールジャズに取り組んだ「渡邊晋とシックス・ジョーズ」[松本英彦(テナーサックス)、渡邊晋(ベース)他]で活躍。銀座「ハット」などに出演。

1953年
当時新進気鋭の人気プレイヤー、松本英彦(テナーサックス)、ジョージ川口(ドラムス)、中村八大(ピアノ)、小野満(ベース)で「ビック・フォー」を結成。戦後の第一次ジャズブームを巻き起こす。かつての日劇のまわりには、彼らの演奏を聞こうと、二重、三重の長い列ができた。

1959年
当時モダンだって白木秀雄クィンテット[松本英彦(テナーサックス)、世羅譲(ピアノ)、白木秀雄(ドラムス)他]に参加。

1963年
アメリカ西海岸の「モンタレー・ジャズ・フェスティバル」に日本人初の単身出演招待。プロペラ機で海を渡る。この年、ニューヨークでジョン・コルトレーンに出会い、ジャズの真髄に触れる。コルトレーンとの出会いで感銘を受け、個性溢れる松本英彦カルテット[松本英彦(テナーサックス)、菅野邦彦(ピアノ)、鈴木勲(ベース)、ジョージ大塚(ドラムス)]を結成。世界ジャズ祭でマイルス・デイビスと競演。

1975年
2月18日、シンガーであった佳子夫人と結婚。しかし挙式前に夫人は足をねんざし、車椅子での挙式となった。披露パーティ会場には、渡邊貞夫他錚々たるメンバーが集まり、明け方まで盛り上がる。

1977年
自ら主宰する「ラブリー・ジャズ・ミュージックスクール」を開設。後進の指導にも情熱を注ぐ。日本ジャズ賞に続き、南里文雄賞を受賞。スイスの「モントルー・ジャズ・フェスティバル」に出演。日本に"スリーピー松本"ありの印象を強烈にアピールする。西海岸の「モンタレー・ジャズ・フェスティバル」に二度目の出演。フュージョンのオリジナル曲による「音楽生活35周年記念リサイタル~新たなる飛翔~」(中野サンプラザ)にて、文化庁主催の芸術祭大賞を受賞。

1980年
全曲オリジナルで構成した、ニューヨーク録音によるグレイト・ジャズ・トリオ[ハンク・ジョーンズ(ピアノ)、エディ・ゴメス(ベース)、アル・フィルター(ドラム)]との競演アルバム「ザ・セッション」(日本フォノグラム)をリリース。今でも人気のアルバム。

1982年
文化交流の親善大使としてソ連を訪れ、モスクワを初め各地で28回公演を実施。すべての会場が超満員という大歓迎を受ける。全曲フュージョンのオリジナルによる「リオ・マンハッタン」(キングレコード)をニューヨークでレコーディング。

1983年
大活躍のなか食道癌となり、手術。長い入院生活を送る。

1984年
シンガポールで開かれた「国際ジャズ・フェスティバル」に医師を伴い食道切除後初の出演。

1987年
「音楽生活40周年記念リサイタル~ビック・フォーからクラシックそしてロックまで~」(東京NHKホール他)を開催。心身ともに元気になってのパワフルな演奏を披露。

1988年
「音楽生活40周年記念リサイタル」で、芸術選奨文部大臣賞を受賞。

1991年
日本のジャズ界への多大な貢献や後進の育成などの取り組みが高く評価され、文化庁より紫綬褒章を受章。

1992年
音楽生活45周年記念アルバム「パピヨン」(東芝EMI)をスティーヴ・ガット(ドラムス)、デビット・マシューズ(ピアノ)、アンソニー・ジャクソン(ベース)、デビット・スピノザ(ギター)らとニューヨークでレコーディング、世界同時発売。

1993年
「音楽生活45周年記念リサイタル~ジャイアント・ステップス'93~」(東京厚生年金会館他)を、「パピヨン」のレコーディング・メンバーを招いて開催。

1995年
童謡の名曲をコンピューターサウンドとアコースティックにより見事にアレンジしたアルバム「FURUSATO」(キングレコード)をリリース。

1996年
「音楽生活50周年を祝う会」が、神津善行氏などの数多くの発起人により催される。会場に設けられた3つのステージを飛び回り、熱のこもった演奏を披露。「音楽生活50周年記念リサイタル~THE BEST OF MY LIFE~」(東京サントリーホール・大ホール)を開催。ニューヨークにて音楽生活50周年記念アルバム「Eternal Dreamer」(メルダック)をレコーディング、3月リリース。

1997年
肺の局部摘出手術を受ける。

1998年
入院中に朝日勲四等を叙勲

2000年
2月29日没・永眠。